親としての自分はどうだったのだろうか

3人の子どもがいて、仕事もして。

本当に大変だった頃の記憶はないし、厳しいというか、叱る時は、感情の制御のできず、叱るのではく、怒っていて、子どもを萎縮させる母だったんじゃないかと思う。

長男は大学から関西に行き、東京に戻ってからも寮暮らし、この4月から娘も社会人。末っ子も高校を卒業する今、子どもたちは立派に育ったけれど、もう少し別の育て方があったんじゃないかと、あれこれ考えてしまう。

自分が子どもにしてきたようなしかり方で、私がぼんやりしていると指摘してくる娘と末っ子。末っ子は私に一番似ている。特に娘には、もっと優しくて包み込むような母でありたかった。きっと、下二人の世話でてんぱっていた私を見ていた長男は、家族とは一歩置いている。少し寂しいが仕方ない。

そう育てたのは私だけれど、もう少し余裕を持って、もう少し感情を抑えて、そこまで厳しくしないで・・・考え出したらきりがないが、まあ、とりあえず、ある程度の社会性をもち、友達もいる子どもたちを見ると、まあ、大きくはずしてはいなかったのかな、とは思う。

また、自分は本当に、自己肯定感が低かったなあと、子どもたちを比較して思う。とにかくやりたいことはチャレンジしよう、できたらほめる!というやり方をしてきたのは、自分としては間違っていなかったと思うからね。でもそれは、自分がそうではなかったから子どもにはそうならないでほしいと思う気持ちが強かったから。

それは、田舎に育ち、時代的に男尊女卑、女がでしゃばるなんて・・・といった風土の中で、児童会長だったり、女のくせと言われる続けるようなリーダーシップは、誰からも、畏怖されることはあっても、どこか肯定されていないといった思いが、私の中にこびりついていたんだろうなと思う。もちろん、男性も女性もない会社に入り、結婚もし、子どもたちとのやりとりの中で、今はそんな自虐は克服はしていたとは思っていたが・・・。残っていた母との関わり方。

去年は、自分と母との関わりの整理に心を鬼にして取り組んだ。

さあ、4月に60歳、90歳までの30年をどう生きようか。

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patapatakko
こんにちは、ぱたぱたっこです!45歳の時に先天性の変形性股関節症とわかり、51歳の時に両足人工股関節の手術をしました。手術後は手術前の痛みがうそのように、趣味のバレエも介護の仕事も、大きな問題なくできています!股関節の痛みに不安になる誰かのもとにこのブログが届きますように!