末っ子は41歳の時に出産しました。
まあ、おなかの中にいるときから大きくて、
生まれてからも、成長曲線マックスで成長を続け…。
中3くらいで、普通になりました。
年中の時に頭の骨を折って入院し、
「今夜が山です」
という言葉を始めて聞いた。その一晩は生きた心地がしなかった。
卒園式の次の日が震災で。浜松町から3時間かけて迎えに行き、
(勤め先が遠いために、お迎えが遅くなったので)
泣きながら
「おかーしゃん、遅いよ!」
ととびついてきた。
兄の野球や母のバレエにいつも連れまわして
小学生の半ばには、兄高校生、姉中学生で、自分の部屋もなく居間に勉強道具を置いていた。
学校でも、やんちゃで、
「今度は何しました?!」
みたいな子で。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230314/14/patacomama/3c/5a/j/o0960072015255202428.jpg)
そしていよいよ私の足が痛くなりディズニーランドとか、おでかけとかしんどくて行けなくて。
小4の時と小5の時に、人工股関節の手術で私が入院。
申し訳ないが先に立つ。
伊那のばーちゃんからも、おまえは末っ子に甘すぎると時々言われるが
そんな過去がついつい甘やかしてしまうのかもしれない。
中1までは落ち着きなかったのに、中2でバスケ部のキャプテンになったあたりから覚醒し。
気が付いたら、3人の中で一番私に似てがんこで理屈っぽいしっかりものに。
そんな彼も本日、高校卒業。その高校生活の始まりは、ちょうどコロナの始まりでした。
卒業式の生徒代表の答辞では、代表の女子が入学式もなく、自宅での自主学習と
ZOOMでのクラスルームから始まった時の不安や、
いつ終わるかわからない制限だらけの生活、思うようにできない部活や行事への思い、
それでも、3年になって、先生方の努力で沖縄への修学旅行ができたこと、
文化祭や体育祭などの行事が実施できたことへの感謝
仲間と過ごしたこの3年間が、制限の中で何ができるかの闘いであり、
だからこそかけがえのない時間だったと涙ながらに語り。
会場の父母も、皆、目頭にハンカチをあてながら聞いていた。
うちの末っ子、バスケ部キャプテンではあるものの野球部キャプテンの兄とは違い
少しだけリーダーという点では控えめで、
とはいえ応援団長として、文化祭や学園祭、沖縄の修学旅行を
どう盛り上げようかとがんばってきて。
皆勤賞とともに、体育優良生徒とやらにも選ばれて。
友達もたくさんできて楽しく高校生活を終える事が出来たようでよかったです。
会場の父母のみなさんよりは1まわりぐらい上の父母ですが、
誇らしく歩く末っ子を始め、同級生のみなさんに心からの拍手を送りました。
本当に、いろいろな出来事、思いを抱えて…
高校卒業です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230314/14/patacomama/4d/7a/j/o0397040615255202897.jpg)
おめでとう。
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