一区切りつけることができました。

3年前、高校時代の親しい友人Yに連絡を取るもあまりに返事がなくめずらしいなと思いながらもコロナ禍で。

半年ぐらいして再度連絡しても何の連絡もなく。

実は、その1年ほど前にばったりと当時自分が働く病院で彼女に会っていたことを思い出し

もしかしたら、病気?あまりに、おかしいなと、ご実家にご連絡したら

「ぱたこちゃんごめんね、Yは亡くなったの」

「え…?」

「がんでね、もう2年も前に」

「…」

「誰にも言わないでっていうから家族しか知らないの」

彼女は、病院でばったり会った頃から再婚したのをきっかけに仕事を辞めて、ご主人の転職先である沖縄に移住して、(しばらくは東京との二重生活と聞いていたの)幸せに暮らしているとばかり思っていた。

高校を卒業してから、ウン十年お互いに東京にいたので時々あっていたけれど、沖縄だと思っていたからしばらく会っていなかった。

ご主人には会ったことはなかったけれど、おかあさまから連絡先を聞いてその後すぐに電話をしました。

誰にも知らせないで。

お葬式もあげないで。

と言われていたと。

高校時代の親しい友人にだけは知らせていいかと話し、電話を切った。

それからは、実家に帰って通っていた高校を見ると彼女との日々が思い出され涙が流れてきた。

あれから2年。

コロナも2類から5類になり、5回目の命日に、沖縄に行って、彼女の遺骨に手を合わせたいと

ご主人にお電話をしたら、ちょうど、その日は東京にいると。

きのう、お会いして、彼女の様子をお聞きすることができました。

中学3年の時に転校してきて、同じ高校では一緒の演劇部で。

私は、表面的には明るく人づきあいがいいように見えて人との関わりではある程度の距離感が必要なタイプで、決して立ち入らないほどほどの距離感で、常にクールな彼女と一緒にいるのがとても楽で。

部室で、掃除をする彼女と英語の予習をする私が何も話さずにずっと過ごしても全く平気、そんな関係だった。

彼女の人生は、本当に彼女らしい独特な人生で。

誰にも知らせないで。

彼女らしいといえば彼女らしい。

でも、私はもう一度彼女と会いたかった。

2時間ほど彼女の告知からの1年10か月の様子を聞き。来年の7回忌には沖縄の彼女に会いに行きます。

…とご主人に伝えて

私の中での一区切りとしました。

ご主人と待ち合わせした新宿の店に少し早くついて、店の前でどうしようかなと思っていたら、

偶然、高校時代の隣の演劇部仲間でその後劇団四季に入り女優として今も現役の友人Sにばったり。

Sもまた、この彼女の古い友人で。あまりの奇遇さにびっくり。

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patapatakko
こんにちは、ぱたぱたっこです!45歳の時に先天性の変形性股関節症とわかり、51歳の時に両足人工股関節の手術をしました。手術後は手術前の痛みがうそのように、趣味のバレエも介護の仕事も、大きな問題なくできています!股関節の痛みに不安になる誰かのもとにこのブログが届きますように!